最近、報道の見過ぎでメンタルがやられている。
正気に戻るため?読書をするようになった。(今までサボってただけだ…)。
もともと、ブログを始めた理由の一つが「文章を書くことを上達させたい」。
サボるから上達しない→上達の兆しが見えないのでサボりがち。
という悪循環を長らく続けている。
なぜ執筆が止まるのか。
記事を書き始めて「うわ~、上手にまとまらないよ!」と思うことが多く、そこでペンが折れる(心も)。
そして、記事の投稿がぱったり止み、あっという間に数日経つ。
恐ろしい。
やっぱり、書き続けなくちゃね。
何年もブログをやっている人は尊敬に値する。
文章を書くことを仕事にしている作家さんたちは、修行僧のように見える。
ところで、文章修行と言っても、私には師匠らしき人物がいない。
数年前のことだが、元新聞記者の友人に記事を添削してもらっていたことがある。
彼の教えは、「読者目線で分かりやすく簡潔に要点を押さえて」というもの。
それはそれで勉強になった。
最近、「どうしたら短歌制作が上達するか」という記事を読んだ。
(短歌を作ったことはありません。作ってみたいなとは常々思うのですが)
そこでもやっぱり書いてあった。
「たくさん短歌を読むこと。気に入った言葉をメモっておくと、表現力が豊かになる」のだそうだ。
(注:『他人の作った短歌を読む』のであって、『自分が短歌を詠む』のではありません)
ですよね。
やはりアウトプットするには、インプットが必要だ。
と、前ふりが非常に長くなった。
実は、昨今の怖すぎる報道写真を見るのが苦痛で、本に逃げた、というのもある。
(日本の報道も欧米化してきましたよね。以前は生々しい写真は報道しなかったものですが)
今までなかなか読めなかった本を図書館で借り、ゆったり本の世界につかろう。
そう思って、「ベストセラーになったが、今まで借りられず、読みたかった本」を借りてみた。
新聞の書評なんかも参考にしつつ。
最近読んだ本を、ちょっとご紹介。
高橋治「風の盆恋歌」。
奥付を見たら1984年発表ですって。
うわ、すごい古い…と思ったが、読んでみると素晴らしい小説でした。
どうしてこの本を読んだのかというと、「ご当地小説」を読んでみたかったからなのです。
どなたかこの小説を読んだ方はいますでしょうか?
この小説の「ご当地」は、岐阜県。
小説の題材は、おわら風の盆、というお祭りです。
主人公2人はそれぞれ都会に住んでいて、住民ではないのです。
そういう設定にすれば、お祭りを描く必然性が出ますよね。
さすが、プロの小説家はそもそもの設定が上手だ。
設定に感心するだけではなく、肝心の文章も無駄が無くてスッキリでした。
小説全体から漂う悲しい雰囲気が、祭りの哀愁と上手にマッチしている。
さすがベストセラーだ(って、プロの作家さんに対して素人が何を言う…笑)。
風の盆を見たことは無いのですが、この小説を読んだらそりゃ、行きたくなるよね。
リリー・フランキー「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」。
これもベストセラーだったので、読んだ方は多いのでは。
私は恥ずかしながら、2022年にようやく読みました。
前述の「風の盆」とは全く異なる猥雑な感じですが、読んでいる途中で「良い小説だ」と分かる。
作者はオカンのキャラクター造型のために、自分のクズっぷりを強調しているんだろうか?
と思ってしまうのですが、それがこの小説に上手にはまっていて、笑えて泣ける。
これもまた、構成や設定がうまいなあ…と感心してしまった。
たぶん、作者のような昭和的経験をしている人は日本に何億人もいる。(あっ、日本の人口はそんなにいない)
それぞれが自分の体験をこんなふうに小説に書いていたら、ヒット作もあるはず。
しかし、多くの人は文章を書かずに終わっているんだろうなあ。(私もその一人)
確かこの本は小学校か中学校の図書館にあって、読んだ記憶がある。
しかし内容をほぼ忘れたので、再読しました。
これは、物語が非常に狭い範囲で、しかも少ない登場人物だけで進んでいく。
狂言回し的人物の立場が入れ替わり、物語が進んでいく手法。
これが、この小説が単調にならない理由かな、と推測。
やっぱり、何十年も経っても残る作品は名作だ。
この手法は面白いので、一度自分でもやってみたいなあ(って、いつ小説を書くんだよ…)。
そのほか、読みやすい作家さんの作品(東野圭吾さんとか、宮部みゆきさんとか)の単行本もたくさん借りた。
「ゾウの時間ネズミの時間」「世界の不思議な木の実図鑑」なんかも面白かった。
やはり読書の時間は至福だ(…と梅こんぶをかみながら思う)。
小学校の時の担任が乱読を勧めていたので、私はいまだにジャンル問わず乱読です。
じゃあ、どの作家さんが好きか?と聞かれると、決めきれない。
あえて言えば、以前も書きましたが、井上靖さんが好きだ。
この人の西域ものはほぼすべて読んだ。
日本を題材にしたものも、かなり読んだ。
しかし、先日図書館の本棚を眺めていて、まだ読んでない井上本が結構あることに気づいた。
というわけで、「風林火山」を借りてみた。
井上靖の何が好きかというと、やはり文体だ。
彼の文章には無駄がない(←ホントに私はこういう作家さんが好きみたいです)。
何が悲しいかというと、好きな作家さんが亡くなると、新作が出ない。
全作品制覇に向けて励むしかない。
余談ですが、ステファン・トゥンベリ「熊と踊れ」を読んだとき、新しいことを学んだ。
それは、スウェーデンでは、『家族が犯罪を計画していることを知っても、警察に通報する義務が無い』ということだ!
「熊と踊れ」は、スウェーデンで実際に起きた銀行強盗について、事実を交えたフィクションとして書かれた小説。
銀行強盗の犯人家族に取材をして書かれた小説だ。
家族が銀行強盗を計画していることを知ったら、警察に通報すべきか迷いますよね。
小説でも事実でも、犯人たちは複数回の銀行を襲撃した後、逮捕され、服役。
銀行強盗の家族も、たとえ警察へ通報する義務が無くても、「やはり犯罪を止めるべきだったかも」と苦しむわけです。
どうして「家族が犯罪を計画していることを知っても、警察へ通報する義務が無い」という法律を制定したのか、そこが気になるところですね。
法律順守より家族の結びつきを重要視しているのかな。
(じゃあ一体法律とは何なんだ)
スウェーデンの法整備の考え方に興味がわいた小説でした。(って小説の中身に関係ないじゃん)
こんな感じで、最近は報道疲れで読書に没頭しております。(あれ?文章修行は?)
本来の目的を忘れないよう、「気に入った文章や単語はメモっておく」ことは、一応やっております。
その成果が、いつかブログ執筆に現れるといいんですけどね。
インプットをたくさんして、たくさんアウトプットをする。
道のりは長いが、頑張るぞ。