また猫の話題で恐縮である。
(この記事は4月の記事「猫好き」の続編です。動物に興味の無い方は読み飛ばしていただいても問題ありません)
1年ぶりに我が家に帰ってきた野良猫「チビ」を手なずけようとして、てこずっている。
理由は、チビがなかなか我が家に姿を見せないからだ。
「帰ってきた」といっても、チビがずっと我が家にいるわけではない。
野良なので、ちらっと顔を出すだけである。
何日も姿を見せないのだから、慣らしようがない。
実はチビを飼おうと決意する前に、もう一匹気になる野良猫がいた。
全身真っ白の毛におおわれ、水色の目をしたガタイのいいおっちゃん猫だった。
梅宮辰夫のごとく貫禄があったので、我が家では「タツ」と呼ばれていた。
タツはおとなしく、賢い猫だった。
オスだが、どうやらこの地域のボスではないようだった。
(前回の記事にも書いたが、なぜか我が家周辺はメス猫が仕切っていたのだ)
そのボス猫(おばちゃんだ)とも、タツはうまくやっていた。
タツが他人と争っていたのを見たことが無い。
我が家に来ると「にゃお」、帰るときは「にゃご」(ほぼ同じだが…)とあいさつを忘れなかった。
私が話しかけると両手をそろえて座り、人間の言葉が分かるのか静かに聞いていた。
最初は「礼儀正しい?猫だなあ」と感心していた。
しかし、タツの様子を見て気づいた。
彼は元飼い猫だったのだろう。
これはタツの境遇に関する、私の勝手な推測。
お年寄りが自宅でタツを飼っていたが、施設に入ることになった。
ホームではペットを飼うことが出来ず、親は泣く泣く息子夫婦にタツを預けた。
息子夫婦は猫に興味がなく、親の家財道具と一緒にタツを捨てた。
「猫好きの誰か優しい人が猫を拾ってくれるかもしれないからねえ」
タツは(そのうち)(もしかすると)(うまく行けば)(ひょっとすると)誰かに拾ってもらえるかもよ?
なんて、タツの努力では100%叶いそうにもない、人間側の勝手な願いをタツに押し付けて。
タツが自力で新しい飼い主を見つけられるわけもない。
ま、想像力の無い人が動物を捨てるのでしょうけど。
こんなストーリーが成り立ちそうなくらい、うちの周辺はペットを捨てる輩が多いんですよ。
チビもその被害者の一人なんだが。
「飼えなくなったので、猫を欲しい方に差し上げます」
って、張り紙とかネット広告とか出してくれればいいのにさ。(怒)
我が家に姿を見せるようになった時には、すでに中年~熟年猫だったタツ。
チビが縁側で日向ぼっこしていても邪魔することはなく、静かに遠くで座っていたタツ。
野良猫なので白い毛もうす汚れていたが、私はタツなら飼いたいな、と思った。
「タツを飼いたいなあ」と家族に言うと、家族の反応はいま一つだった。
理由は「年寄りだから」「汚いから」ということだった。
汚いのは洗えばいいんだし、生きてれば誰だって年を取るんだよ!
見ばえが良くてもアホだったらどうしようもないじゃないか!(心の中の反論)
ルッキズムって、ペットの選択には露骨に現れるもんなんですね。
私は、譲渡会なんかで隅っこで売れ残っているブサイク猫でも、喜んで連れて帰りたい。
いや、売れ残る子ほど飼ってあげたい。
面白い性格とか、賢い子ならいいじゃないの。
と思うんだが、皆さんはどうでしょう。
我が家のご近所さんのKさん(猫好き)宅にも、よくタツが来ていたらしい。
「タツはいい猫ですよねえ」
と言ったのだが、Kさんから帰ってきた一言。
「タツは落ち着きすぎていて、可愛げがないからねえ…。」
中年なら「落ち着いている」のは当然。
なのに、おじさんにまで「かわいさ」を求めるんかい!(←心の叫び)
人間に置き換えればわかる。
人間の50代のおじさんに「かわいさ」を求めるだろうか?
猫となると、なぜか何歳になっても「かわいさ」が求められるわけだ…。
私は人間の中年オヤジには異常に手厳しい?が、猫には甘々だ。(すいません)
タツは十分しつけられた猫なんだから、それだけで良いと思うんですよ。
タツには人生を重ねた猫ならではの人間味がある(猫なのか人間なのか、もはや何を言っているのか分からん)。
あーあ、自分が一人暮らしだったら速攻、タツを飼ってたんだが。
家族と住んでいるため、了解を得ておかないと後で協力してもらえなくなる。
タツは、そう頻繁に姿を見せない猫だった。
そして、手なずける前に姿を消した。
年齢も年齢なので、もう二度と彼に会うことはないのではないかと思っている。
私はタツの、たぶん生涯最後の安住の地を提供してあげたかっただけなんだが。
20代の頃。
とある宿泊業務研修を受講した。
親しくなった同僚たちと、ある週末に飲み会をすることになった。
すると、A君の姿が見えない。
「あれ、A君は来ないの?」
尋ねる私に、B子が答えた。
「今日は可愛がっていた飼い犬の命日だから、一人で過ごしたいんだって。」
犬の命日?
私はB子の顔を見た。
周囲の人たちは驚いた様子はない。
私は二重の意味で衝撃を受けた。
衝撃の一つは、「飼い犬の命日だから(飲み会に行かず)一人で過ごす」という選択をするA君。
そんな優しいハートの持ち主だったとは!(見抜けよ)
二つめは、そういうA君を見ても驚かない同僚たち。
「犬の命日くらい、別にいいじゃないの」とか、
「付き合い悪いな」
なんていうヤツがどこにもいなかった。
危うく、自分がそんな失礼なことを言っちゃうヤツになりかねなかった。
犬猫を飼ったことのなかった当時は理解できなかった。
でも、今はA君の気持ちが分かる。
私は以前、ぽん太(オス)という猫を飼っていた。
その業務研修が終了したあとのことだ。
ぽん太が亡くなったのは十年くらい前だ。
「ご長寿猫は18年生きる場合もある」
とネットで読んだので楽しみにしていたが、短命だった。
亡くなった時は悲しく、目が壊れたと思ったくらい泣いた。
「こんなに悲しいなら、もう二度とペットを飼わないぞ!」と心に誓った。
ぽん太の写真はいまだにブロマイドのように何枚も持っている。
遺影?には、毎朝新鮮なお水を上げ、お灯明とお線香も毎朝上げている。
海外勤務の際もぽん太の写真を持参し、朝晩「行ってくるよ」「ただいま」と声をかけている。
私のやってることは、まるっきりA君じゃねえか!!
そんなぽん太が、まだ私の心の中にはいるわけだ。
だからこそ、
「もう猫は飼わない」
と深く深く誓ったわけです。
そんな天国のぽん太から「あの家に行ってこい」という指令を受けたのか、チビがやってきた。
と言っても、毎日来るわけではない。
毎日来てくれたらエサを餌に?手なずけるんだが…。(あれ?あの誓いは?)
最近ネットで知ったのだが、鳥の言葉を研究している「動物言語学」の鈴木教授という方がいる。
シジュウカラの親鳥も、鳴き声でヒナとコミュニケーションしているのだという。
巣箱をモニタリングすると、親鳥はこんなことをヒナに伝えているらしい。
「ヘビが来た!全員、巣から脱出!」(ヘビは巣の中に入り込むので、ヒナは巣から逃げるのがベスト)
「猫だ、(猫の手の届かない)巣のすみっこへ行け!」(猫の手は巣穴の真ん中までしか入らない)
「お母さんですよ(安心して出てきなさい)」
などなど。
実に豊かなコミュニケーションを取っているのだ。
まあ、ちょっと考えれば理解できなくもない。
「そりゃそうだよね、親鳥が危険をヒナに知らせなければ、どうやってヒナは身を守れるの?」
しかし、この方のすごいところはそれ、つまり親鳥がヒナに指示している言葉を解明し、語順のルールまで理解したところだ。
もはや、人間の世界と鳥の世界を行き来しているようなものだ。
たとえは違うが、日本人が英語を習得したようなもんだ。
鳥に限らず、どの種の動物も多かれ少なかれ、ある種の”言語“を使ってコミュニケーションしているんだろう。
猫もにゃあにゃあ言っているように聞こえるが、よく聞いていると状況によってトーンが違う。
ってことは、猫同士なら通じる言語があるはず。
多くの猫飼いさんは同意してくださると思うが、注意深く猫を観察していると分かることもある。
私も最近は「トイレ行きたい」くらいなら、猫の言いたいこと?が分かるようになった(それだけかよ)。
たぶんベテランの「猫飼い」「ネコズキー」氏たちは、私以上に猫語が分かるんだろう。
脱線に脱線を繰り返して申し訳ない。
しかし、いまだにチビは我が家の猫になっていない。
野良猫を家猫にするのは、長い道のりだということがよく分かった。
野良を保護して飼い猫にしている方々には頭が下がる。
そういう方々は猫の外見とか年齢問わず、可愛がってくださっているんだと思う。
そういう方に飼われた猫は、幸せである。