作家のパトリシア・ハイスミスをご存じだろうか。
米国女流推理作家のパトリシア・コーンウェルと間違えそうだが、コーンウェル氏の方は存命だ。
「パトリシア・ハイスミスの『サスペンス小説の書き方』という本が面白かった」
と何かの書評で読んだので、自宅もよりの図書館へ借りに行った。
しかし。
無い。
パトリシア・ハイスミスの小説は、図書館に一冊しかなかった。
しかも、読みたかった本(「サスペンス小説の―」)ではない。
ウィキペディアによれば、彼女の作品は欧州ではヒットしたが、日本に紹介されるのは遅かったらしい。
だから田舎の図書館には蔵書が無いのかな。
仕方なく、たった一冊だけ図書館にあったハイスミスの小説(文庫本)を借りた。
それが「プードルの身代金」(扶桑社ミステリー)だった。
皆さん、ハイスミスの作品を読んだこと、ありますでしょうか?
日本への紹介も遅く、すでに物故されている作家さん。
ほとんどの読者の方は読んでいないんじゃないかと思う。
なので、ネタバレ承知で感想を書きます。
あらすじ。
NYに住むある夫婦が、飼い犬に身代金を要求された。
(飼い犬のプードルは、行方不明になった直後に殺されるのだが)。
犯人は頭のおかしい中年男性、ロワジンスキー。
身代金を2回せしめることにまんまと成功する。(←身代金を取れる時点で頭はおかしくないけどね)
と、そこまでは普通のミステリ小説。
犯人も、小説の比較的初めの方であっさりと登場する。
この本は、「犯人は誰か」を突き止める小説ではないのだ。
主人公は、クラレンスという若い警察官。
プードルの飼い主は、温厚で裕福なレイノルズ夫妻。
警察の仕事を嫌っているクラレンスの彼女、マリリンも登場する。
クラレンスは、プードルを誘拐した犯人を逮捕し、レイノルズ夫妻を喜ばせようとする。
同時に彼はマリリンと結婚したいと願っている。
しかし、彼らに依存しようとすればするほど、クラレンスと彼らとの人間関係は悪くなっていく。
クラレンスを苦しめるため、マリリンにつきまとう犯人、ロワジンスキー。
マリリンを監視する警察の同僚マンゾーニ。
彼らの底意地の悪さも、クラレンスを狂わせていく。
追い詰められたクラレンスは、ついにロワジンスキーを殺害してしまう。
マリリンとレイノルズ夫妻はクラレンスをかばってくれるのだが、彼に対し嫌悪感も抱くようになる(かわいそうだが、人間の心理としては理解できるな)。
警察署の上司の取り調べに対し、クラレンスは「自分はロワジンスキーを殺していない」と否認する。
しかし、クラレンスに悪意を抱くマンゾーニがアパートにやってくる。
う~、どうしてこういう方向へ行っちゃうの?
と、小説を読みながらやきもきする。
クラレンスは一生懸命やっているのだが、なぜか状況は悪い方へ悪い方へ…。
後で調べたら、「後味の悪いミステリと言えばハイスミス」なんだそう。
日本にもありますよね、イヤ~な感じのミステリ、つまりイヤミスというジャンルが(私は読んだことがなかったが)。
クラレンスのアパートの部屋に勝手に入ってくるマンゾーニ。
当然、二人は言い争いになる。
マンゾーニは、クラレンスが警察官の仕事をバカにしていると感じている。
クラレンスは(同僚には言わないが)、マリリンと結婚するために警官をやめようと思っている。
マンゾーニにとっては虫が好かないクラレンスの若造が、どうやら殺人を犯しそれを隠匿しようとしているわけだ。
そりゃあねえ。
言い争いにならないわけがないでしょ。
マンゾーニの銃が火を噴き、クラレンスは腹部に痛みを感じる。(いいのか無抵抗な人を銃で撃って…)
そして…ゆっくりと床へ倒れる。
マンゾーニは、素早くクラレンスのアパートを後にする。
っていう結末!
なんてこったい!!
誰も幸せじゃないじゃん!
プードルは殺され、身代金は取られ(後で大部分が返却されるけど)。
主人公は彼女にふられ、犯人が殺され。
仲良くしたいと願っていたレイノルズ夫妻の態度も冷たくなり。
そして、主人公が殺されて小説が終わる。
犯人である同僚が現場から逃走…ハイ、終了。
ってそのあと、どうなるんだ?
マンゾーニのヤツ、「抵抗されたので撃った」とかウソをつくだろうことはミエミエだ。
(小説には書いてないけど)。
というわけで、「プードルの身代金」は、不合理と不条理に終わります。
ね、イヤな終わり方でしょ?
この作品はミステリとか推理小説というより、ミステリの皮をかぶった純文学?って感じがする。
クラレンスがかわいそうすぎるが、心理描写がいちいち秀逸だ。
たとえば。
警官が役立たずのせいで、リザ(”誘拐された“プードル)が帰ってこず、身代金を2回も取られてしまう。
そんなことがあったら、いくら温厚な人でも腹が立ちますよね。
警官であるクラレンスを前にして、
「(リザも犯人も見つからないなら)警察に通報するしかない」
なんて言っちゃうレイノルズ氏(つまり、クラレンス=無能、と暗に示しているわけです)。
レイノルズ夫妻がリザの後釜として別の犬を飼い始めた場面も、警官であるクラレンスの立場無しだ。
なのに、「新しい犬ジュリエット」を飼い始めたレイノルズ夫妻宅に平気で遊びに行っちゃう鈍感男・クラレンス。
そんなとこも、レイノルズ氏に疎まれる原因なんだが。
でもなあ。
人間関係って、合理的なものは一つもない。
むしろ、日々不合理と不条理に支配されている。
そう考えると、ハイスミスは現実を文章で描いて見せる達人かもしれん。
例えばだが。
レイノルズ氏はオフィスで働き、インテリである。
妻のグレタはドイツ訛りの移民で気持ちが優しく、音楽家である。
高学歴で裕福な夫妻と、ロワジンスキーのように職場の事故で体が不自由になり、世間に恨みをつのらせて生きている人間。
夫妻に非はないが、「幸せそう」に見える人に悪意を持つ人もいる。
しかし、レイノルズ夫妻だって順風満帆な人生というわけではない。
レイノルズ氏は、「若気の至り」で結婚した相手との間に娘が一人いた。
娘はドラッグをやり、バーでのトラブルに巻き込まれて亡くなった。
そのあと、夫妻は可愛がっていたプードルを頭のおかしい男に殺され、身代金を奪われる。
夫妻は嫌な思い出のあるアパートを引き払い、別のマンションへ転居し、新しく犬を飼う。
犬の身代金も、引っ越し代も(もちろん払わなくていいならそれに越したことはないが)、都会で生活するコストの一種だと理解している。
こうやって人間は前を向き、人生は続いていくんですけどね。。
裕福な夫婦が100%幸せかというと、そうでもない。
何不自由なく生活している夫婦にも、不幸(娘の死、愛犬の死)は訪れる。
こんな場面もある。
クラレンスのように組織に所属する人間と、マリリンのように自由な心を持つフリーワーカー。
マリリンがクラレンスを捨て、友人男性(オカマさん)を選ぶのも面白い。
「安定とお金」ではなく、「自由と自分らしさ」を優先する人もいるのだ。
ところで、ハイスミスの数あるヒット作の中で映画化された小説がある。
それは、「太陽がいっぱい」。
イタリア・フランス映画なのだが、主演はアラン・ドロン。
私はこの映画を見たことがないのだが、あらすじを読むとまさに不条理…。
これがハイスミスの真骨頂なわけだな。
は~それにしても思う。
自分は本を読むのは得意だが、ハイスミスのような描写力は無いなあ、ってことだ。
小説家になるのは不可能だと思うが、もう少し文章力を身に着けたいと思っているところだ。
もし、次なるハイスミス作品を読むなら、やはり「サスペンス小説の書き方」を読んでみたい。
しかし、図書館には無いのよ、ハイスミス作品が!
じゃあ、パトリシアつながりで「パトリシア・コーンウェル」作品を読もうかな?(←もう、適当)
一つ気になる点を挙げる。
どうしてこの小説のタイトルが「プードルの身代金」なんだろう?ってことだ。
もちろん、それが悲劇の発端なんですけど。
この、一種冷酷にも感じられる心理描写を得意とするハイスミス。
イヤミスって、読者が読みながら「それはないでしょう!」「どうすんだお前」みたいなツッコミをし続け、先が気になる展開なわけですね。
文学とミステリを同時進行で小説に仕立てるハイスミスは、やはりすごいんだな。
人間観察が趣味って人がたまにいるが、そういう人こそ小説家に向いているのかも。
やはり読んでみたい、「サスペンス小説の書き方」。