オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

戦争は女の顔をしていない

 

最近、本の感想についての記事が多くてスミマセン。

面白い本を読むと、ついつい誰かに伝えたくなってしまうのだ。

 

「戦争は女の顔をしていない」

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著。岩波書店

この本の感想は一口には言い難い。

 

何かのブックレビューで、この書名を知った。

それ以来、気になっていた本の一つ。

漫画化もされているので、このブログを読んでくださっている方の多くは読んでいる方もいるだろう。

 

2015年に、著者はノーベル文学賞を受賞している。(日本での本書発売は2016年)。

今年の3月から世界情勢が変わり、ますます読むのに時宜を得たという感もある。

 

この本は、ソ連(当時)から対独戦に従軍した女性たちの体験談を500人から集めたものだ。

戦争体験は男性の口から語られるものが多い、ということに疑問を感じた著者が、女性従軍経験者から聞き取りをしたもの。

 

体験を話してくれた彼女たちは、独ソ戦へ出征当時、15歳~30歳だった。

職業軍人ではなく、普通の一般市民だった。

参戦した女性は200万人に上るという。

 

若い女性たちはどう戦ったのか。

 

他国でも女性が従軍することはある。

たいていは軍医とか看護師、衛生兵としてが多い。

女性が軍隊内で出来る仕事といえば、そういう仕事しかないと私も思っていた。

 

「戦争は―」のインタビューに答えた女性の中には、もちろん軍医や看護師、通信兵や料理係もいた。

しかし彼女たちの多くは、狙撃兵とか機関銃兵、指揮官など「実際に人を殺す要員」だった。

 

どうして女性が従軍したのか?

本を読むと分かる。

 

例えば、娘ばかり4人も持っていた父親を喜ばせるため。

女性は役に立たないと思われるのが嫌だったため。

村の中での親のメンツを保つため出征したケースもある。

「祖国を守るため。」

 

従軍中も「女性であること」のハンデはある。

「女は役立たず」と男性に言われたくないため、重い機関銃を肩に担いでも泣き言は言えない。

従軍中の4年間、男性用下着しか支給されず、戦争が終わって初めて女性用ブラジャーとパンツを支給されたという。

 

中高生の時に出征したので、従軍中に初潮を迎えた女の子もいた。

女性兵士たちが行軍した後の砂には、点々と赤いしみが出来ている。

生理用品など支給されないからだ。

女性であることを隠して戦う人もいた。

 

彼女たちは、男性たち以上に戦うしかなかった。

男性に劣らないことを証明するために。

男性たちからバカにされないように。

戦争は、女性が女性でいられない場所なのだ。

 

じゃあ戦争は男性がやるものなのか?

そうとは言わないが、少なくても戦争は「女性」の顔をしていない。

とこの本を読むと思う。

 

泥の中に転がっている死体。

三つ編みのおさげ髪を見て、女性兵士の死体だと分かる。

殺し合いとなったら、男女関係ない。

 

読んでいると気が滅入るが、過酷な戦争体験を話してくれた500名の女性たちの勇気には感服する。

長い時間をかけて彼女たちと連絡を取り、一人ずつに面会して丁寧に記録を残した著者にも感謝だ。

 

印象に残ったこんな場面がある。

負傷した自国の兵士(ロシア兵)とドイツ兵(敵国兵士ですね)が病室にいるシーン。

 

自分(女性兵士)が「体調はどうか」と味方の負傷兵士に尋ねる。

すると、味方の兵士が答える。

「自分はいいから、コイツ(ドイツ兵)を見てやってくれ」

 

戦場では敵同士だが、負傷して病室に隣同士で横たわっているとただの人間同士だ。

負傷した二人の間には、人間的なものが芽生えていた。

そんなこともある。

 

従軍した女性たちは日々凄惨な経験をしているが、女性らしく過ごしたいと思うこともある。

松ぼっくりを髪に当ててカーラーの代わりにしたり、前髪をピシッと整えるために砂糖を使わずに取って置いたり。(多分砂糖をお湯に溶いて、それを髪につけて固めるんでしょうね)

イヤリングをつけたら上司から「そんなもの取れ!」と怒られたり。

そういう人間的な描写があると、読んでいるこちらもちょっとホッとする。

 

そして戦争が終わる。

 

復員した男性たちは、村や町の英雄。

足や腕を失っても、「祖国のために頑張った」ともてはやされ、結婚相手も見つかる。

 

しかし、復員した女性たちは社会から逆の扱いを受けた。

「戦争になんて行く女は、ろくな人間ではない」

「戦争に行って何をしてきたんだか」

 

結婚相手だって見つからないし、結婚しても「戦場へ行った女はやはりダメだ」と夫が去った人もいた。

戦争から戻ってきたら、生理が止まった女性もいた。

妊娠できなくなった人もいた。

それだけ精神的トラウマが強かったということなんだろう。

戦争が終われば美しい人生が始まる、と思っていたのに。

 

インタビューに答えた500人一人一人に、こんな物語がある。

 

「私は2つの人生を生きた。

男性の人生と、女性の人生と。」

そう語る女性もいる。

 

「(戦場での自分は)あれは自分ではない。他の誰かだった。」

そう振り返る女性もいる。

(これは多分男性でも同じかも)。

 

「子どもに戦争の話をしても、(自分に関係ない)おとぎ話だと思っている。」

それは分かる。

私も従軍経験が無いので、こんな貴重な体験談を読んでも自分ごととは思いにくい。

 

「私は罰を受けている。どうして?人を殺したから?」

重い質問だ。

 

戦争中は「女も従軍しろ」「祖国の役に立て」と言われた。

が、戦争が終わると手のひらを返したように扱われる。

彼女たちは、戦争前は中学校や高校に通う普通の女の子だったのに。

 

日本でも、第二次大戦中は普通の人々が戦争に徴兵された。

そして、戦争が終わると「戦争は悪いことだ」ということになった。

 

本当に悪いのは戦争を起こした政府であって、一般市民ではない。

しかし、肩身の狭い思いをし、一生涯苦しむのは一般市民だ。

それは世界どこでも同じなんだろう。

 

ソ連は第二次大戦に参戦し、4年間の戦争で2,000万人の犠牲者を出した。

日本の死者は230万人と言われている。

(ちなみにソ連の敵国であったドイツは280万人。

本書でもドイツ兵のみならずドイツ女性が凌辱される場面や殺される場面が出てくる)

 

ところで、なぜソ連だけが第二次大戦の死者数が突出しているか、という疑問である。

 

調べたところ、ソ連人海戦術だったので犠牲者数が多いのだそうです。

兵器のレベルや戦車・大砲の数で勝るドイツにソ連が勝つためには、兵士の数を投入しなければならない。

 

そういう事情から、ロシア語の分からない人や辺境出身者ですら前線に送られたらしい。

第二次大戦で、女性が大砲を打ったり狙撃したり戦闘機に搭乗したりしていたのはソ連だけだったようです。

(じゃないと2,000万人も戦争に投じることはできないですよね)

 

そのソ連(いや、今はロシアか)が、また戦争か…。

この本にも何度も出てくる。

ウクライナが戦場になっている場面が。

 

もう一つ、印象的な場面があった。

春の麦畑。

味方(つまりソ連)の若い兵士と、ドイツ兵士の遺体が転がっている。

青々とした麦畑に転がる、2つの死体。

 

死体の目は開かれて、青い空を見上げている。

どちらも、もう人種や国籍なんて関係ない。

ただの人間だ。

 

こんな場面もあった。

モスクワまで退却した女性兵士たち。

男性の連隊長が美容師を呼んでくれた。

 

「戦争はすぐに終わらないから」女性兵士たちの気分転換になるようにとの心遣い。

マスカラをつけ、眉毛を描いて、化粧もした。

うれしかった…。

という。

こういう戦時中の人間的描写にはホッとさせられる。

 

ウクライナの戦争が長引くにつれ、私の周りにも「まだウクライナ?」という雰囲気が無くもない。

欧米が近代兵器をウクライナに支援している。

ロシアはまた終わりのない戦いに総力戦で挑んでいるんだろうか。

 

本書で、自分の従軍体験記を語ってくれた女性たち。

今も存命の方も多いと思う。

彼女たちは、今のウクライナ戦争をどう思っているのだろう。

 

感想をうまくまとめられなくてスミマセン。

戦争体験の無い私が、何を論評する?って気持ちもある。

「国を守るために戦え」と言われて銃を取った女性たちを、誰が責められるだろうか。

一つの事実、ある一個人の体験として、事実を謙虚に受け取るしかない。

 

私が願うのは、この本に登場したような女性が再び現れないで済む世の中だ。

世界中の人が、安全な場所で今夜もお腹いっぱいで幸せに眠れますように。

誰もがうれしかった、楽しかったという日々を送れるようになりますように。

女性が着飾ったり、マスカラを試したり、新しいサンダルを履いてウキウキしたりする世界でありますように。

 

罰を与えられなければならない人なんかいないのだ。

早く戦争が終わりますように。

それしかない。