私は読みたい本を常にメモっている。
そのメモを持って図書館や書店へ行き、立ち読みをして借りたり買ったりするのだ。
この本も、そんなリストに入っていた本の一つ。
「清少納言を求めて、フィンランドから京都へ」の著者はフィンランド人、38歳、女性。
読書が好きで、人生(特に仕事)に疲れている。
現在の職場に勤めて10年。
ある日「一年間の休暇を取ろう」と思い立つ。
人生に疲れた人がリセットのためにやりがちですよね、旅行とか長期休暇…。
これって、日本だけじゃなくフィンランドも同じなんだ。
でも、一年間も仕事を休んで何をする?
そうだ、京都へ行って清少納言が暮らした世界にふれよう。
そう思い立ち、「枕草子」ファンである著者、ミア・カンキマキ女史は京都行を決める。
日本で清少納言についての本を執筆することにする。
いいアイデアを思い付いたものの、一年間も職場を休めないかも。
お金の不安、日本語が分からない不安。
本が本当に執筆できるかどうか。
物質的理由だけじゃない。
中年の独身女性が一人でアジア旅行?
まわりからどう思われる?
恥ずかしい?
あ~う~悩む~え~い!!
この、著者のウダウダっぷりがとても親近感を抱かせる。
私もはじめの一歩を踏み出すのに、ものすご~くウダウダ悩むタイプ。
自分の分身を見ているようで、めっちゃ分かりまっせ、その気持ち。
ウダウダの結果。
退屈なフィンランド生活から脱出するべく、行動開始したカンキマキ女史はすごかった。
自宅を貸し出すことにして高齢の親に手伝ってもらい、荷物を整理して家を空ける。(親とケンカしながら)
ヘルシンキ大学の日本語入門講座に申し込み、飛行機のチケットを手配。
上司と大喧嘩して反省するが、無事長期休暇ゲット!(←これが一番すごい)
もう、あとにはひけん。
一度決めると、あとは怒涛のように日本へ行くだけ。
清少納言の書いた文章が千年後のフィンランド女性の心を打った。
それだけが彼女の原動力。
人生を変えるきっかけって、どこにあるか分かりませんね。
この本を100ページほど読んで、気づいた。
私も彼女同様、ちょっとバーンアウト気味のような気がする。
集中力が切れるし、世の中に対して冷めた感じになってきたし、仕事にも情熱がさめてきた。
ミッドライフクライシスっていうか、どの国の中年も同じなんですかね。
京都に来て図書館へ行くも日本語が分からず、英語の文献を探す日々。
そして女史は気づいた。
源氏物語の作者・紫式部についての本はかなりあるのだが、清少納言についてはほとんど無い。
日本人である私も、それは知りませんでした。
調べていくうちに分かる、清少納言に対する勘違いや偏見の数々。
そもそも、「枕草子」はPillowBookと翻訳されているらしい。
枕の本=寝室の本、つまり春画、と勘違いしている人が多いこと!
カンキマキ女史が「ピローブックの勉強のため日本に来た」と自己紹介すると、知った顔でうなずく欧米人男性の多いこと!
どうして本の表紙がピンクなのかよく分かった、だそう…。
いろんな誤解がまだある。
最初、この本を読み始めたときは、主人公(カンキマキ女史)のあまりのダメっぷりに本を投げ出しそうになった。
んなことやってても、本は書けないでしょ!
大丈夫か、おい?
しかし、この紆余曲折も、彼女の清少納言への理解を深めるのにとても役立っているのだ。
著者の日本滞在中、大地震が起きる。
2011年3月11日。
女史はフィンランド大使館や両親から別の国へ行くように言われ、適当にタイ・プーケット島へ渡る。
ここで彼女は気づく。
毎日毎日、プーケットの明るいビーチのパラソルの下。
変化なく、行きたいところもなく。
ただ昨日と同じ日々が過ぎる。
そして、プーケットには5日間豪雨が降り続き、災害宣言が出される。
カンキマキ女史は、雨に閉ざされたホテルで再び考える。
なぜ、京都では居心地が良かったのか。
タイに来る観光客は、明るくておしゃべりで、パーティー好きで、酒好き。
タイの女の子とデートするのが目的でタイへ来る人さえいる。
京都では、自分にそれを求める人はいない。
自分が引っ込み思案で、暗くて、人見知りでも、誰からも責められることはない。
そうだ、京都行こう。
女史は京都へ戻ることを決める。
「自分と意見を共有してくれる人がいないところへ来てしまったら最悪」なわけだ。
こういう気づきが、この本をとても共感性の高いものにしている。
ところで巻末の「訳者解説」によれば、2013年にこの本がフィンランドで発売されるとポジティブな感想があったという。
「人生を変える勇気をくれた」
「転職する気になった」
「これまでしたいと思っていたことを、実行することに決めた」など。
この本の本来のテーマは清少納言だった。
しかし、清少納言そのものについてではなく、「新しい人生を踏み出す勇気」をもらったという読者が多かったようだ。
本の中で著者は遠回りしたり、予期せぬ事象で計画を変更させられたり(地震とかね)する。
あれはダメだったがこれはうまく行った、なんてこともある。
人生とは計画通りに行かないものだ。
でも、思いがけない人との縁で人生は続いて行くものらしい。
私もこの本を読んで思ったことがある。
それは、「本を読んで知った気になっていても、やはり現地に足を運ぶと理解を深められる」ということ。
著者はフィンランドで生け花を習い、日本文学を読んでいた。
しかし、日本へ来て清少納言の足跡をたどり、現地を旅することで、彼女なりに清少納言へ近づいていることが良く分かる。
百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。
全然違うが、私も常々「英語を日本で勉強しているだけでなく、短期間でも海外へ行った方がいい」と思っている。
空気の匂い、現地の湿気(あるいは乾燥)、風、食べ物、自然、町の雰囲気。
そんなものが合わさって、言語とか文化とか国民性を作っていると思うからだ。
言語や文化に対する理解は、本だけでは得られないんだろう。
観察力に優れたカンキマキ女史。
タイで現地女性に群がる男性を見、京都でフランス人男性に群がる日本人女性を見て、手厳しい分析をしている。
曰く。
清少納言は晩年を寂しく過ごした、と言われている。
本当にそうだったのだろうか?
だってこれだけ清少納言に関する資料が無いのに、どうやって分かるの?
当時の女性は貞淑に地味に控えめに、男性の陰にいる日陰の存在だった。
そんな中で、才気煥発の清少納言は自分の教養を見せつけていた。
そういう「男性にとって目の上のたんこぶ」的女性だからこそ、「晩年はみじめだった」と資料に書かれたのではないか?
真偽のほどは分からんが、「男性にたてつく女性」をこらしめるために。
という推理だ。
まあ、ありえなくはない。
だって、清少納言が宮廷を出た後、誰とどこで生活していたか、没年さえはっきりしていないわけですよ。
「晩年がみじめ」って、どうやって分かったんだろうか、という謎はある。
絶世の美女・小野小町もしかり。
男性に手が届かない高根の花だったがゆえに、「晩年は無残な老婆となった」と資料に記載された。
のではないだろうか?
という女史の推理。
女性だって男性だって、年を取ったら容色が衰えるもの。
言われてみれば、小町に関する記述には悪意を感じられなくもない。
世の中に残っている歴史上の資料というものは、ほぼ100%男性の手によるものだからして。
歴史上の有名人は生まれた場所や年月日も不詳だし、最後がどうなったのか不明な人も多い。
なので、後世の人が適当に?でっち上げた史実もゼロではないんじゃないかと考えている。
研究者が研究を進めて「これは恣意的に描写された」ということを立証してくれるんじゃないかと期待する。
最後に。
私もかなり鼓舞されたことがある。
それは著者を励ましたヴァージニア・ウルフの言葉である。
「みなさんにはあらゆる本を書いてほしい。些細なテーマであれ遠大なテーマであれ。…皆さんには何としてでもお金を手に入れてほしいとわたしは願っています。そのお金で旅行したり、余暇を過ごしたり、世界の未来ないし過去に思いを馳せたり、本を読んで夢想したり、街角をぶらついたり、思索の糸を流れに深く垂らしてみてほしいのです。」
なぜ私が「バーンアウト気味」なのかは、著者同様「人生に疲れた」からなのである。
でも、気を取り直し、前に進んでいくしかないんだと思っている。
本を読んで夢想することだけは、やっている(笑)。
それにしても、世界各国、同年代なら似たような人生経験を積み、似たようなハードルにつきあたるものなんですね。
それが分かっただけでも、相当私は勇気づけられましたよ。
この本を読む多くの方々も、著者同様、迷ったり悩んだりしながら人生を楽しく続けてほしい。