オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

イニュニック(生命)-アラスカの原野を旅する-

 

またまた星野道夫本である。

 

(以前、同著者の「旅をする木」の記事を書きませんでしたっけ?)

 

最近、心が汚れている。(いつも?)

久しぶりにアラスカの本を手に取りたくなった。

 

星野道夫さんはアラスカ写真家であった。

この本も、アラスカの友人カレンから電話があったことから始まる。

 

アラスカに通って写真を撮影する生活を続けて12年。

そろそろキャンプ以外の生活をしたい。

そう思っていたころ、カレン宅の隣の土地が売りに出た。

 

カレンの夫マイクは国立公園のレンジャーで、カヤック旅行中に知り合った。

カレンは日本文学で博士号を取り、宮沢賢治の研究者だ。

彼らに勧められ、その土地を買うことにする。

 

アラスカに土地を買い、家を建て、家具を注文する。

全てアラスカの友人たちがやってくれたのだ。

新しく住む土地に多くの友人がいるなんて、いいことじゃないですか。

 

この本の巻頭には、多くのカラー写真が掲載されている。

真冬のオーロラ。

雪原を歩くカリブーの群れ。

インフォレスト

夏の恵み、ベリー類。

氷を抱くベーリング海

 

そして、本文にもアラスカの自然の描写が多く割かれている。

でも、著者が伝えたいことはアラスカの自然の美しさではない。

 

アラスカに憧れ、アラスカに住む人に憧れ、毎週のように様々な人がやってくる。

しかし、彼らの多くは挫折し、または満足して都会へ帰っていく。

 

現地先住民女性と結婚したパイロットのドン。

帰る場所が無い彼は、アラスカで生きていくことを決める。

「ひとつの人生を降りてしまった者のもつ、ある共通した優しい匂い」をドンに感じる著者。

アラスカに憧れ、あるいは事情を抱えてアラスカにやってきた人たちを、著者は温かい目線で見る。

 

著者の多くの友人たち。

ある者はアメリカ人、ある者はアラスカ先住民だ。

その友達の一人、シリアが言う。

 

「Life is what happens to you while you are making another plans.」

(人生とは何かを計画している時起きてしまう別の出来事のこと)

 

まさにその通りだ。

私も最近、本当にそう思う(←それが、心が疲れている原因なんだけどさ)。

 

一年の半分が冬であるアラスカ。

(アラスカは憧れるが、冬が長いのはつらいな…)。

 

春は一日だけ。

日差しが温かくなると、植物も動物もぐんぐん夏へと向かう。

夏は生命が命を謳歌する季節なのだ。

 

日没が夜の22:48分。

日の出はなんと0:59分!

フェアバンクスの夏至ってすごいですね!!ほぼ白夜じゃん。

星は5月には姿を消すそうです。

 

そんな毎日の中で、著者のアメリカ人の友人が亡くなることもある。

著者はがんで入院した友人、ヘレンのお見舞いに行く。

その病床でのヘレンのセリフ。

 

著者「人生の中で一番大切なことって何だと思う?」

ヘレン「友だちだよ。」

…。

 

確かにヘレンの言う通り。

あとそんなに長く生きられないと分かっている時、病院にお見舞いに来てくれる友人のいるありがたさ。

 

人生で必要なものはいろいろある。

家、仕事、お金、家族、健康、等々。

でも、一番大切なのは友だちなんだろうなあ。

 

著者は、クイーンシャーロット島にハイダ族のトーテムポールを見に行く。

トーテムポール自体、まじない的意味のある木彫りの彫刻なんだが、ハイダ族は葬儀に使用する。

なんと、トーテムポールに穴をあけ、そこに遺体を埋葬するんだそう。

まあ、全ての部族がそうやっているわけではないんですけど。

 

先住民族のトーテムポールは、歴史的、文化人類学的価値があるとかで、博物館で保存しようとする動きがある。

しかし、ハイダ族は反対。

祖先の作ったトーテムポールが、作った当時のまま自然の中に残され、そのまま自然に朽ちていくことを希望するんだとか。

 

うーん、なんとなくハイダ族の気持ちも分からんではない。

私も素晴らしい木彫りの作品を見たら、「こりゃ美術館で保存しないとね!」と思うだろう。

でもハイダ族にとっては、自然の物は自然に還るべきなのだ。

 

星野氏はクイーンシャーロット島で、そんな朽ちたトーテムポールを見る。

そして、驚かされる。

朽ちたトーテムポールのてっぺんから、トウヒの若木がまっすぐ生えていることに。

 

トーテムポールのてっぺんに落ちたラッキーなトウヒの木の種子が、中の栄養分を吸収して木に成長したんだろう、と推測する星野氏。

日本人的感覚から行くと怖すぎる…という感じもしないではないが、言いたいことは分かる。

すべての生き物は自然に還り、壮大な生命の再生のサイクルの一つとなるのだ。

 

ここまで読んだ読者の皆さんは、すでにお分かりですね。

なぜこの本のタイトルは「イニュニック」(生命)か、ということが。

生命の誕生、死、再生がアラスカではつながっていることが。

 

生き物(人間含む)の一生とは、永遠に存在するものは何もない。

あらゆるものが消え去る。

 

例えば鮭。

アラスカのサーモンも生まれ育った川を遡上し、産卵を終え、一生を閉じる。

するとその死骸は土壌に沁み込み、栄養を与え、豊かな森を育てるのだ。

 

まあ、読まなくても何となくわかるよ…って方もいるだろう。

そういう方は同じ著者の「旅をする木」もおススメですよ。

 

私なんぞ、最近は電車の窓から高層マンション群を見ると思う。

「あ~やっぱ住むなら緑の多いところがいいな。」

 

東京の便利さや猥雑さは今も好きだ。

歩いていろんなところへ行けるし、面白いことがたくさんある。

 

でもねえ。

朝起きたときは鳥の声を聴き、太陽の光を浴び、木々の葉が風に揺れる音を聞きたくなったのですよ。

これを人は「年取ったね」という言葉で表すらしいですが。

 

都会生活に疲れた方、会社員生活に飽きた方。

たまには星野道夫を読んでリフレッシュはいかがでしょうか。

 

 

ところで、この本。

私はいつものごとく図書館で発見したのだが、借りて分かった。

この本は「寄贈本」だったのだ。

ってことはこの本を持っていた誰かも、アラスカ(もしくは自然)に憧れ、気持ちを北極圏に飛ばしたんだろうなあ。

 

最近は、星野氏の友人ドンの気持ちが分かるようになってきたような気がする。

世界の果てへ西へ東へ、忙しく飛びまわる生活も楽しい。

しかし「いつ来訪してもその人はそこにいる」という優しさもあるんだなと思うようになりました。

 

余談ながら、この本が出版されたのは1988年。

著者・星野道夫氏は1952年生まれなので、当時36歳。

人間(そして野生動物)を温かく見る目をこの時点ですでに持っていた、ということにびっくりする。

自分の人生修業の甘さ、遅さに不甲斐なさを感じます…。

 

 

今年は特に訃報が多いですね。

シリアの言う「人生とは、何かを計画中に起きる別の出来事」である。

だったら、人生が計画通りに行かなかったからといって落ち込む必要はないんでしょうね。

うまく行かないことがあったとしても、友人がいれば気持ちがまぎれるしね。

 

まあ、そうは言っても「自分の命は壮大な生命サイクルの一部分」と思えるまでには、私にはもう少し時間がかかりそうだなあ~。

自然から切り離された生活をしている我々には分からないことが、アラスカに住む星野氏には見えていたのかもですね。

 

どこか、アラスカじゃなくていいですが、自然に囲まれた場所で、友人たちとたまに会って楽しく過ごす。

そういう定住生活を送りたいという気分に私がなるのは、あと数年先かなあ。

それまでに友人を増やしたいものですけどね。