自分から人を誘うことが、かなり苦手である。
気軽に他人に声をかけられる人がうらやましい。
なぜ、気軽に人を誘えないのか。
その理由を自分なりに考えてみた。
まず、会う目的が無いと他人を誘いづらい。
深刻な相談があるとか、人生に新しい転機が発生したので報告したいとか。
そういった目的があれば、人と会って話す、つまり相手の時間を使わせてもらうだけの価値があるんじゃないか?
と思っている。
なので「何も用事が無い」時は、飲みに行こうとか食事に行こうとか、誰かを誘う勇気が出ないのである。
これって私だけなんだろうか?
「会う理由とか目的」が無いと人を誘いづらいと感じる人、いますでしょうか。
先日、友人のMさんからLINEがあった。
「ご飯行こうよ。いつがいい?」
そのメッセージを見て、私は途方に暮れた。
誘ってもらえるのはありがたい。
しかし、最近は私の周りにはめぼしいニュースが全く何も無い。
華々しい活躍をしているわけでもなく、面白いネタがあるわけでもなく。
ノーベル賞を受賞したとか、そういう出来事があれば気軽に会えるんだが…。
最近の私は限りなく平和、いやはっきり言うと平々凡々な日々を過ごしているのだ(ある意味いいことだが)。
Mさんだって、エキサイティングなニュースの無い私と会っても楽しくないでしょ。
そう思った。
まあ、誰だって毎日が波乱万丈というわけではない。
激辛マーボー豆腐だって、一日三度×半年食べ続けたら飽きる。
それは分かるんだけどね。
分かるんだけどね。
何か一つでも面白いネタがあれば、Mさんと会うのも気楽なんだけどなあ。
会った時にはその面白小咄を話せばいいんだし、あとはMさんの最近の話を聞いて盛り上がれるだろう。
私には今、ネタが無いのよ、ネタが。
というわけで、Mさんへの返事を躊躇した。
迷った挙句、あまり待たせても行けないと思い直し、ようやく返事をした。
「ランチ、いいですね!
でも私は何もニュースがありません。申し訳ありません。」
するとMさんからあっさりと返事が来た。
「私も何もニュースがありません。」
おおっ。(心の中の歓喜の声)
Mさんもニュースが無いの?
ちょっとうれしい…。
たぶん社交辞令で気を遣ってくれたんだろう。
忙しくしているMさんは、多分たくさんニュースがあるはず。
私に合わせてくれただけなんだ。
それにしても、「特段何の用事もないが会いたいね」と言ってもらえるのは、単純にうれしい。
それはつまり、Mさんが日々の生活で私を思い出してくれた、ということだ。
あいつ、何やってるかな、と。
ところで、以前も別の友人と似たようなやり取りがあった。
その友人から久々に連絡があり、「たまには会おうよ」と言われたのだ。
その時も私は「会うのは構わないけど、話すネタが無いし」と返事をした。
すると彼は言った。
「話すことが無いと会っちゃいけないの?」
ま、言われてみればそうだ。
そんな法律はないし、友人に会いたいときに会えばいい。
なぜ、自分は他人とアポを取るのが苦手なんだろうか。
理由は、たぶん、「会ったら相手を笑わせなければいけない、楽しませなければいけない」と思い込み過ぎているから。
お笑い芸人じゃないんだから、そこまで頑張らなくてもいいはず。
過剰なサービス精神が、人と会うことをわざわざ難しくしているわけだ。
自分の持って生まれた、面倒な性格?なんですかね…。
会う前は、「話すネタが無い」とぐずぐずしている自分。
しかし、友人と会うと特に面白いニュースやネタが無くても、話が盛り上がるものだ。
どうでもいいことをお互いに話し、何時間も楽しく過ごせる。
酒が入っていなくても、だ。
だったら、「ネタが…」なんて言わずに、気軽に友人と会えばいいじゃないか!
でも、「何か共有すべきニュース」が無いと、話が盛り上がるかどうかイマイチ不安になっちゃうんだよなあ…。
多分、私のことをよく知らない人たちは「あいつ、友達になりにくいタイプだな」と思ってるだろう。
私だって、自分のこういう点が厄介だと良く分かっている。
考えすぎなんだよ。
あ~気軽に人と会いたい!
ま、地球上の人全員と気が合うわけでもないし、仕方ない。
そう思って、自分の気の小ささを慰めている。
ところで。
用事が無いのに人と会う。
これって実はぜいたくな時間の使い方ですよね。
特にこの2、3年は人に会うのが制限されるようになって、「人と会う」ことの価値が社会で再認識されているようだ。
こんなことを最近考えていたら、芸能人の誰かも似たようなことを言っていた。
平々凡々な生活を送っている一般人の私だけでなく、芸能人も同じ状況なんでしょうね。
Mさんの話に戻る。
時折、こうやって私の周囲の友人たちは私を正常な?軌道に戻してくれる。
そういう友人たちがいなければ、今頃私は火星の裏側に一人で生活しているような状態になっていただろう。
あまり考えすぎず、思い込み過ぎず、という中庸が大切。
ってのは分かっているんだけど、ね。
そう考えると、ちょっと前に流行った「インスタ映え」。
あれは、私みたいな人間にとっては恐怖以外の何物でもない。
だって、毎日キラキラした生活なんて送っていない。
私がインスタをやったら、投稿できるのは15年に一度、なんて感じになりそうだ。
しかし、最近アメリカでは「インスタ疲れ」で、加工していない写真を投稿するのが流行ってるとか。
行き過ぎた流行には何でも反動というものがあるんですね。
「何かすごいことを成し遂げていないと人に会えない」と思い込む自分に、堂々と「自分は何もニュースが無い」と言い切れるMさん。
好きだわ…。
ちょっとホッとしました。
こういう「特に何もニュースが無い」日々が続いているからこそ、たまにある出来事が輝いて見えるんですよね。