過去の記事にも書いた、私の文章修行のあれこれ。
読みやすい文章を書くのは本当に難しい。
社内で日々目にする広報記事の下書き、報告書の数々。
それらの文書の「添削」が、私の仕事として回ってくることがある。
でもねえ。
結構難しいんですよ、添削って。
自分の書く文章ならズバズバ、いやズタズタ赤ペンを入れることが出来る。
でも、他人様の書いたものはねえ。
「添削お願いします」と、頼む方はにこやかに書類を渡してくる。
私が直すの?
と思うが、「元日本語教師でしょ」なんて訳の分からない理由でいつも押し切られる。
(いや、日本語教師って外国人に日本語を教える立場なんすよ。
日本語教師は音声学とか言語学とか、そういう勉強をしてきた人たちであって。
添削するのは、校正とかそういう仕事の人じゃないと出来ないでしょ。
日本人に日本語を教えるのは、むしろ国語教師の仕事じゃないのかね。)
そう思いながら、分からないなりに他人様の文章を直す羽目になる。
もちろん、「第三者が読んで分かるかどうか」という観点でしか直せない。
プロの校正者じゃないんだし。
いつかは「校正」の勉強をやってみたいなあ。
そんな思いを10年以上持ち続けている。
今だってそうだ。
ブログを書いていて、「あ~分かりにくいよね、この書き方じゃ!」と毎回思う。
ブログを書くこと自体が、私の文章修行になっている。
だから、ネット記事などで「分かりやすい文章を書くには」なんてタイトルを見ると、即チェック。
最近ネットで見た「分かりやすい文章を書くには」は、ヒントが箇条書きになっていた。
数えたら、なんと32個も項目があった!
こんな感じで「分かりやすい文章の書き方」を日々集め、虎の巻、いやコレクションになっている。
だからと言って文章の書き方が上達しているわけでもないのだが。
このブログの読者の方は、私がアメリカの大学を卒業したことを覚えていらっしゃるかと思う。
大学4年生の時、「卒論ゼミ」があった。
ここで私の卒論担当のS教授は、こう宣言した。
「君たちは将来、大学院へ進学したり、あるいは本を執筆したりするかもしれない。
そういう時に備え、このゼミでは卒論の内容もさることながら、「文章の書き方」「論文の構成や付属物」について学んでもらいたい。」
つまり、ただ単に単位を取るだけの卒論じゃ困る、というわけだ。
Bibliographyとか脚注といった論文の付属品をどうやって付けるか、はもちろんのこと。
分かりやすい、誤解を招かない文章をどうやって書くかを学んでほしい。
そういうことらしかった。
日本の公立高校を卒業して渡米した私は、アメリカの大学に入学して最初の最初のリサーチペーパーで、ポカをやらかした。
Bibliographyの作り方を知らなかったのだ。
日本の高校ではリサーチペーパーなんて書いたことが無かった。
物事を調べ、短い論文形式で文章をまとめる、なんて作業を、大学に入るまでやったことがなかったのだ。
当時は、お手軽に調べられるインターネットが無かった。
そして、書き方を教えてくれる日本人留学生の数は今よりはるかに少なかった。
ライティングの教科書を読み、アメリカ人から教えてもらうしかなかった。
仕方ないと言えば仕方ないのかもしれん。
しかし、教授に赤ペンをたくさん入れられたペーパーが返されたときは、顔から火が出そうだった。
こうやって次々に恥をかきながら?学んでいったのである(笑)。
今はネットでサクッと調べられるし、楽になった。
卒論ゼミでは、教授が用意した「ダメな文章例」をたくさん読んだ。
そのあと、学生は各自のテーマで「卒論の下書き」を書く。
自分の書いた卒論の下書きは、ゼミの人数分コピーを取って皆に配布。
翌週までに全員がそれを読み、その論文の良い点悪い点を批評し合う。
そして、それを踏まえて最後の仕上げをし、それぞれ学生たちは教授に卒論を提出する。
そんな流れになっていた。
最初に「ダメな文章例」をたくさん読んだのだが、これが「明らかにダメ」な文章で分かりやすかった。
ゼミ生たちはその文章を読み、「なぜ分かりにくい文章なのか」「どうすればいいのか」を話し合った。
(これ以降は、英語に興味が無い方は飛ばしてお読みください)
例えば。
「~がたくさんある」と言うために、thousands of thousands of thousands of…と書いている人がいた。
A thousandなら「1,000」だが、thousands ofは「数千もの」「たくさんの」という意味になる。
でも、thousands ofと一度だけ書けば十分。
「たくさんある」と言いたいのは分かるが、「数千もの数千もの数千もの」ってねえ。
宇宙じゃないんだからさ。
こんなのもあった。
The joy of ballooning has exploded.
バルーン、つまり気球(で遊覧飛行する)楽しみが爆発した。
まあ、言いたいことも分からんではない。
気球での遊覧飛行が爆発的に流行した、という意味なのだろうが、主語が「気球」で動詞が「爆発する」ってねえ。
気球が爆発したみたいで紛らわしく、読んでつい笑ってしまう。
こんな感じで、読者を惑わせる「分かりにくい文章」の例をたくさん読んだわけだ。
この卒論ゼミでは、他の学生の卒論(下書き)を読むことが出来た。
外国人である私はもちろん執筆が大変だったが、アメリカ人学生の卒論もこんな感じで、トンチンカンな文章がたくさんあって笑えた。
分かりやすい文章を書くのにはアメリカ人も苦労しているらしい。
大学を卒業して相当時間が経った。
いまだに文章を書くのに苦しんでいる私。
ところで、分かりやすい文章を書くためのヒントとは、英語圏ではどうなんだろう。
ネットで調べたら、出てくるわ出てくるわ。
さすがにどれもポイントが6~7項目に絞ってある。
たくさん項目があると読者は飽きてしまう、ってことなんだろう。
32項目に耐える日本人がすごいのか、日本語が難しいってことなのか。
以下はアリゾナ大学(米)のサイトから引用した「how to write concisely」だ。
(1)無駄を省く
(2)明確な単語を使用する
(3)受身形を避ける
(4)一文をシンプルに短く
(5)There is, There are, It isで文章を始めない
(6)無駄な名詞を省く
(7)That, of, upなどを避ける
日本人が驚くのはもしかすると(7)ではないだろうか。
(7)の例として、こんなのが挙げられていた。
〇I said I was tired.
×I said that I was tired.
thatを入れろ!と受験英語では習ったような気がしないでもない。
しかしアリゾナ大学に言わせると、このthatは「無駄」なんだそうだ。
ふーん。
言語オタク、文章オタクの私は、こんな他国のサイトを見ても結構楽しめる。
しかし、これが楽しいのは文章を書くのが好きな人だけらしい。
会社で「添削頼むよ」と気軽に私に頼むおじさんたちは、自分の文章を改善することにはあまり興味が無いらしい。
添削が面倒くさいので、一計を案じた。
「これ読んで、参考にしてください」と言って私のコレクションを渡すことにした。
読んでくれれば、私の手間が省けるしね。
しかし、彼らは読むのが面倒くさいようだ。
またしばらくすると「添削を頼む」となる。
仕方なく、校正者でもない素人の私が添削をすることになる。
ご本人が書きたいこととずれてしまうのも良くない。
なので、私が直すのは明らかな漢字の間違いや、無駄な文章を削ること、混在する漢数字とアラビア数字の統一、といった程度だ。
別の英語圏のサイトに書いてあった。
「情け容赦なくズバズバと添削・削除すべし!」と。
自分の文章はズバズバ添削出来るけど、人の文章はそういうわけにもいかない。
一度、「好きに直していいから」と言われて、うのみにしてしまった私。
ズケズケと直された悲惨な報告書を見たときの、おじさん社員の情けない顔。
あれを見て、「好きに直してはいけないのだ」と肝に銘じるようになった。
私が好きに直した文章は私好みの文章というだけで、正しいかどうかは分からないもんね。
というわけで、「校正」の勉強をするチャンスを虎視眈々と狙っている。
校正者なら「○○の理由で直した」という正当な理由付けが出来るはずですしね。
こんな調子で、私の文章修行はまだまだ続くんだろう、と思う。