オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

何を見ても何かを思い出す

 

自分でもあきれる。

ブログ記事の執筆が、なかなか完成しないことに。

 

記事を書いては消し、書いてはあきらめ、書いては悩み。

うまくまとまらないので、「この記事は熟成しよう!」と言って「ボツ」ファイルに投入。

それを繰り返した結果、「ボツ」ファイルに大量の書きかけ記事がたまった。

そして(言い訳がましいが)、記事がアップされないまま一週間が過ぎる。

 

ヤバい…。

どうして一本も完成しないのだろう。

怠け者なのか無能なのか集中力が無いのか、あるいはそのすべてか。

 

ブログでさえこんな状態なんだから、ほかの物は推して知るべし。

「何かを書いて応募したい」と思いつつ、いたずらに時間だけが過ぎ去る。

 

例えば。

サラリーマン川柳」に応募しよう!と思いついて、駄作をたくさん書き散らす。

「あーあ、いい作品が出来ないなあ」

と思っているうちに締め切り到来。

提出できる作品が無いまま、終わってしまうのだ。

 

ってことを何十年も繰り返した結果、自分は今、ここにいる。

小説家にもなっておらず川柳作家にもなれず文章も上達せず、ただのサラリーマンなのだ。

まあ、自業自得ですよね…。

 

と、ブログ更新が遅い言い訳をしつつ、ヘミングウェイを読む。

 

この作品の奇妙なタイトル、「何を見ても何かを思い出す」。

ずっと気になっていた。

 

読者の皆さんは知らないと思うが(そりゃそうだ)、私はヘミングウェイのファンだった。

誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」「日はまた昇る」…。

スペイン内戦を知りたくて、オーウェルの「カタロニア讃歌」も読んだ。

ヘミングウェイ熱はやや冷めてきたが、今も彼のシンプルな文体は嫌いではない。

 

で、「何を見ても何かを思い出す」。

原題はI Guess Everything Reminds You of Something.

わずか10ページの作品である。

 

ヘミングウェイ自身と思われる作家の主人公。

息子が書いた小説が表彰され、それを読んで彼は驚く。

自分は、息子の年齢の時にはあんなに上手に文章が書けなかった。

 

主人公は、息子が作品で描いた物事について疑問を感じる。

あの鳥をどこで見たのだろう?息子はあそこへ行ったことはないはずだが?

息子は「パパから教わったんじゃないかな」と父親の疑問を一蹴する。

 

そして息子は、「何を読んだり見たりしても、何かを思い出すんじゃない、パパは」という。

(I Guess Everything Reminds You of Something.)

ふーん、じゃあ気のせいかな。

 

とにかく文章の才能があるなら、2作目が楽しみだ。

息子よ、ぜひ2作目を書いてみなさい。

なんならパパが指導してあげる。

 

大事なのは、「自分が知っていることがらについて書くことだ」と小説家の父は息子に伝える。

でも息子は、自分は自分のやり方でやるのだ、と父をはねつける。

 

そして。

息子は何だかんだ理由をつけて、2作目を父親に見せなかった。

 

父親である作家は、息子に射撃の練習をさせる。

射撃の腕前も卓抜している息子だが、父親が教えたり訓練したりした結果、さらに上手になった。

 

主人公は7年後に、息子の作品を再読するはめになる。

表彰された息子の作品は、アイルランドの小説家の作品の盗作であった。

一言一句、タイトルまでまるまるの剽窃であった。

 

息子はウソをついていたわけだ。

どこかで読んだ記憶がある…と思ったカンは当たっていたのだ。

 

主人公は今更ながら思い知らされる。

息子が「愚劣で性悪」であり、「終始一貫だめな男」だったことを。(←言い過ぎ)

 

というストーリー。

 

登場人物はヘミングウェイに重なりますね、射撃の腕前とか息子がいることとか。

調べると、ヘミングウェイに息子は3人いるらしい。

 

この話の元になった実話があるようだ。

グレゴリーという三男が、この小説で描写されたようなことをやったらしい。

 

なので、(小説とはいえ)父親が息子の悪行を悪く書くのはいかがなものか。

という論評もあるみたいだ。

父親がこんな小説書いたら嫌ですよね…。という人もいる。

 

この小説の前半で、息子と父はふだん一緒に暮らしていないことが分かる。

これは、ヘミングウェイの実際の生活だった。

 

彼は世界を放浪し、複数の女性と結婚し子どもをもうけた。

三男は夏を父と過ごすために、父が住む島へやってきた。

そこでの出来事を、ヘミングウェイが作品として仕上げたものだ。

 

執筆したものの、さすがに世に出すのは恥ずかしい。

そう思ったのか、生前ヘミングウェイがこの小説を発表することはなかったらしい。

ちなみに、三男グレゴリーは幸せな人生を送ったわけではなく、最後は失意のうちに刑務所で亡くなる。

 

父親らしいこと(自分が出来るのは文章指南くらいだしね)を息子にしてやろう、とする父親。

偉大な父の文章指南を断る息子。

誰だって、世界的に有名な作家の父親から小説の書き方を教えてもらうなんて、イヤですよね。

一方、父親としては、「文章を書く努力をせずに盗作かい!」という苦々しい思いがある。

 

射撃が上手な息子。

大人たちに教えてもらったことを忘れ、自分は才能があるから大人より射撃がうまいのだ、と考える。

父親は「大人をバカにすることを言ってはいけない」といさめるのだが、息子には効果が無い。

 

父親と息子の気持ちの行き違いというか、考え方の違い。

どちらの立場も分かるだけに、どうにも救いがない。

 

そういう親子関係が小説の向こうに透ける。

読後感は苦い。

という読み方も出来る。

 

しかし、作家の個人的私生活は置いておくとして、それでも私の印象に残るのは「何を見ても何かを思い出す」ことだ。

創作生活(小説に限らず、写真でも絵画でも)をしている人は、分かる感覚なんじゃないかな。

だから、多くの人が記憶するタイトルなんだと思う。

 

余談。

「自分の知っていることを書きなさい」と指導するパパヘミングウェイ

「ささやかな情景」について書くと、自分が何を見ていたのか分かるんだという。

 

今更ながらだが、私もブログ記事は自分の知っていることについて執筆している。

自分が体験したこと、読んだ本、考えたことについて書いているのだ。

そして、「ささやかな情景」について書いているつもりなんだが、書いているうちに「何が面白かったのか」分からなくなり、自分を見失う。

 

これって、「自分が何を見ていたのか」忘れてしまう、ってことなんでしょうか?

う~ただの記憶喪失なのか、単によく考えてないのか。

 

「何を見ても何かを思い出す」ところまでは何とかヘミングウェイにたどり着けているんだが、その先がねえ。

ここがアーティストになれる人と凡人の分かれ目なんだろう、と思って自分を慰めるしかない。