オレンジの花と水

ブログ初心者の日記風よみもの

寄せる

 

業務上、高齢の方と接する機会があった。

仮にAさんとする。

 

Aさんはあるお店の経営者である。

家族経営で小さなお店をやっていたが、旦那様が亡くなった。

Aさんが一人でお店を切り盛りすることになった。

 

Aさんいわく、その年齢になっても働くのは問題ないのだそうだ。

問題なのは、こと現代においてはすべてにパソコン(というかネット)が登場することだ。

そして、Aさんはパソコンが使えない。

今まで、旦那様がすべてパソコン作業を担当してくれていたのである。

 

「そうですか~それは大変ですね。」

 

そこまで聞いて、私は思わず言った。

うちの両親も全くパソコンが使えない(スマホもだ)。

Aさんも多分うちの親と同じくらいのご年齢なんだろう。

パソコン担当だった夫が亡くなり、Aさんはとたんに手も足ももがれた状態になったのだ。

 

周囲にパソコンが使える人がいなくなって、そりゃ困るだろう。

かといって、私がAさんの店で働くわけにもいかん。

 

「誰か、お店の従業員の方でパソコンが分かる方はいないんですか?」

そう尋ねると、Aさんは首を振った。

 

「今は人手不足で、うちみたいな小さい店で働きたい人はいないからねえ。

自分一人で何でもやるしかないのよ。」

 

そうか~。

この時代、Aさんのように一人で店をやるしかないお年寄りも多いんだろうなあ。

しかし、今時パソコンが全く使えないとは、あれこれ困るんじゃないだろうか。

 

「ファックスなら使えるんだけどねえ。

今どき、ファックスで仕事している店なんてないわよねえ。」

 

うん、確かにありませんね。

でも、わが両親もパソコンは全くダメで、ファックスしか使えない。

Aさん一人の問題ではない、と思う。

 

何かの折に、その話を上司W氏に伝えた。

Aさん救済のチャンスはないものかと思ったのである。

しかし、上司はあっさり。

 

「パソコン使えないの?はははっ、じゃあしょうがないね。」

 

…終了。

上司は何事もなかったように次の話題へ移って行った。

 

不思議なのだが、諸外国(欧米とか)のご老人たちは、一体どのようにしてパソコンを覚えたのだろうか?

もともと欧米人はタイプライターを使っていた。

それがパソコンに置き換わっただけで、苦労なくパソコンへ移行できたんでしょうか?

誰かに聞いてみたい…。

 

こういう点、日本社会は大変不親切に出来ている。

市役所や〇〇署など公的機関に問い合わせようとすると、メール対応が無いところもある。

ファックスでしか受け付けないところもあるし(いまどき…)。

逆に、メールでしか書類関連を受け付けず、ファックス対応がないところもある。

受付方法が一貫していないのだ。

 

ファックスもメールも両方使える人なら問題ない。

しかし、片方しか使えない人は大変だ。

ネット申請しか出来ない場合は、多くの高齢者はお手上げとなる。

 

コロナワクチンの接種が始まった時。

うちの親は、ワクチン接種のネット予約が出来なかった。

私が予約をやってあげたのだ。

 

親の友達(つまり高齢者)も誰一人としてネット予約できず、子どもや孫に頼んでやってもらったのだとか。

(たぶん、このワクチン予約狂騒曲は日本全国で展開されただろう…)

 

みなさんワクチン接種がだいぶ進んできて、もうお忘れかもしれないですが。

もう一度言う。

高齢者はネット予約だと対応できないのである。

 

自治体によっては、ワクチン接種予約をはがき申し込みにした町もあった。

(←はがき予約を考案した町職員、ブラボーである。ローテクだが一番確実だ)

町で勝手に接種の順番を決め、それを高齢住民に通知し、「都合の悪い人だけ申し出るように」と通達した町もあった。

(←これも英断。どうせ高齢者は24時間ヒマなんである。どうにでも都合のやりくりはつくはずなのだ)

 

何が言いたいのかというと、制度設計を高齢者へ「寄せる」意識が必要なんだと私は思っている。

台湾のIT大臣、オードリー・タン氏が言っていた。

 

台湾でも、コンビニで高齢者がコピー機や何やら機械の操作が出来ず困っていることが多いらしい。

(日本同様、台湾でも高齢者はローテクなわけですね。タイプライターの文化が無いしね)

しかし、台湾のコンビニでは若者が高齢者にコピー機などの操作方法を気軽に教えるのだそうだ。

 

タン氏曰く。

 

「高齢者にパソコンを覚えさせれば解決する、ということではない。

社会が(パソコンの使えない)高齢者に寄せて行けばいいのである。」

 

つまり、高齢者がパソコンが使えなくて困るなら、高齢者が悪いのではない。

高齢者でも使えるパソコン(もしくはコピー機)を作ればいいのである。

受け手側の問題ではなく、制度設計をした側に問題がある、という考え方である。

 

なーるーほーど。

 

日本だと「パソコン使えない?じゃダメだね」で終わってしまう。

しかし、パソコンが使えなくても他の方法でどうにか対応できる、という制度設計をすればいいのだ。

 

(この点、なぜか「ファックスしか使えない」政治家は優遇されている。

どこの省庁でも政治家対応として官僚たちはファックスを使用しているらしいのだ。メールにすりゃいいのに)。

そういやあ、メールの使えないIT大臣がいたよな、日本には…。

 

同じことは、たぶん障がい者の方、子ども、女性、日本語の分からない外国人とかにも言える。

そういう社会的弱者が使いやすいように、社会のあれこれを設計すればいいのだ。

というのがタン氏の考えだ。

パソコンが使える社会的強者だけ便利ならいい、というのではなく。

 

タン氏の考え方には大変感心した。

残念ながら、日本がそういう考えになるのはあと100年くらいかかりそうだ。

弱者に寄せていく、という考えがすっぽり抜け落ちているように見えるしね。

 

日本の人口の何割かが65歳以上の高齢者なら、高齢者に寄せていくのは必須な感じもするんだが。

日本の企業はどこを向いて仕事をしているのやら…。

 

Aさんのような高齢者でも利用できるシステムを整備するのは、ニッチなビジネスチャンスなのではないだろうか。

あっさり上司から却下されると、日本の社会の在り方が良く分かる気がするぞ。

 

と、そんなことを考えている昨日今日である。

 

台湾の高齢者はタン氏のようなIT大臣がいて幸せだ。

「弱者に配慮するのが当たり前」という考え方の政治家が政治をやっているなんて、うらやましい。

 

日本は生産性が低いとか、世界の中で遅れまくっているという話を昨今よく聞く。

それって、日本の高齢者がパソコンを使えない、しかも社会も高齢者に配慮していない。

という面にも表れてるんじゃないだろうか。

 

高齢者の方も頑張ってパソコンを習得しよう、という気概があるとさらにいいですよね。

高齢者でもパソコンを使えるように、無料のパソコン教室を自治体が開催するとかね。

そういうことをやればいいんだが、行政自体がローテクだからして。

 

高齢者を改革する?アプローチも必要だけど、その逆の方がもっと重要だ。

(ということを言いたいのが今日の記事だ)。

 

ユニバーサルデザインとか、社会的弱者に使いやすい制度設計を考える際。

実は「受け入れ側」とか「与える側」、「大多数」の方の意識改革が大事というではないか。

障がい者の方が就職するのだって、会社が車いす対応のスロープをつけるとかすればいいわけで。

受け入れ側が努力しなければ、いつまで経っても多様な社会にはならないんだろう。

 

というわけで。

Aさんのことは気の毒だと思う。

なので、上司に進言したが興味なさそうだった。

 

かといって、上司を掃除機で吸い取っても仕方ない。

うちの上司のような考え方の人が、社会にはまだ多い。

タン氏のスピーチを聞いた私のような日本人が、「弱者へと寄せていく社会」を作ろうと日々努力するしかないんだろうなあ。

 

ところで今気づいたが、タン氏って確か35歳の若さで大臣になったよね。

そして、もっというと確か中学ドロップアウトだったはず…。

 

日本の政界では、30代が大臣になるなんてありえない。

日本では500年後じゃないと、30代の女性大臣なんて生まれないだろうな。

そういうことを考えると、ますます気が滅入る…。

私なんぞ、候補者選びに困ったら「もっとも若い候補者」に投票しているというのに。

 

自分が女性だからなのか、つくづく思う。

高齢のおじいさんが牛耳る日本の政界を見ていると、たぶんこの社会的分断(若者⇔高齢者、女性⇔男性、ハイテク⇔ローテク、等々)を埋める政策は出てこないだろうなあ、この先も。

 

誰かすい星のように?政治家が現れて(希望は女性とか若者とかマイノリティ出身)、日本を変えてほしい…と切に思うこの頃である。