かなり前の記事で、「今度から俳句教室へ行く」と書いた。
その後日談。
初心者レベルの俳句教室。
楽しみにしていた。
何かを学ぼうと思うものの、「いつかはやりたいな」と思うだけで終わることが多い。
腰を上げるのが面倒くさいのである。
そんなものぐさの私が、ついに?動いたのである。
大したことではないのだが、とうとう行動した自分をほめたい。
とまあ、自画自賛はおいといて。
授業の日、例の教室へ行った。
担当のT橋さんは忙しいらしく、別の担当者にクラスへ案内された。
教室へ行ってみると生徒は6名、つまり私を入れると7名。
少なすぎず多すぎず、悪くない。
授業は、こんな感じで進められた。
まず、クラスの2週間前に各自が先生に俳句を提出。(これは授業前に終わっているわけだ)
先生は全員の作品をパソコンに入力してプリントを作成。
提出された全俳句が書かれたプリントが、クラスで全員へ配布される。
それを読み、自分が好きな俳句を選ぶ。
1番好きな句(特選)1句、2番目に好きな句(秀逸)1句、そして3番目に好きな句(普通)4句。
選句が終わったら、各自が自分の選んだ句を発表する。
講師は「その俳句を選んだ理由」を選者に尋ねながら、句の季語を確認し、講評する。
選ばれなかった句についても講師が注釈を加える。
という流れだ。
プリントには、講師の先生が作った俳句も混ざっている。
我々の駄句?に混じって。
もちろん記載されているのは俳句のみで、作者名が書いてない。
なので、(作者不詳のまま)純粋に自分が好きな句を選ぶわけだ。
(そして、「自分の句を選んではいけない」というルールがある)
さて、俳句を学ぶピカピカの一年生?である私。
なのに講師のH先生は、容赦なく笑顔で要求する。
「それじゃ、作ってきた句を見せてください。」
え?(ドギマギ)
とつぜん私ですか?(あたふた)
作ってきたけど…発表するんですか?
H先生(にこやかに)「作ってきたんですね?じゃ見せてください。」
私「いや、その、あの…(もがもが)」
そう私が抵抗しているうちに、先生は私のノートを取り上げた。
「あ、5句作ってきたんですね?いいじゃないですか?」
(何がいいのか分からんが…)
そう言うと、さっさと私の句を板書し始めた。
そして、1句目を書くとうなった。
「ああ~。なるほどねえ。」
(何がなるほどなんだ)
そして私を振り向いた。
「この教室の生徒さんなら分かると思うんですけどね。ああ、そうか」
ここで私は、1句目でどうやらミスをしたらしいということに気づく。
ミスについてはのちほど指摘をいただき、何がミスだったのか分かった(季語が二つあったのだ)。
私の5句を書き終えると、H先生はホワイトボードから体を離し、再度読み返した。
そして、何度もうなずいた。
H先生「へえ、本当に初心者?悪くないですよ。
五・七・五も出来てるし」
私の内心の声(いや五・七・五は出来てないとさすがに…。
いちおう中学校で俳句の授業があったし…いや、中学校って何年前だよ)(もがもが)
こうして私の5句が衆目にさらされた(そのために作ったんだけどね)。
あ~めっちゃ恥ずかしいですね。
気を取り直して私もプリントに目を通し、句を選ぶ作業にとりかかった。
読んで分かった。
ふうむ。
こりゃ好みが分かれるわい…。
この時期は春なので、みなさん春らしい句を読んでいる。
「花」「いちご」「春風」「青空」そんな感じだ。
確かに春らしい。
しかし、またどうでもいいタイミングで頭を持ち上げる私の「反骨心」だ。
ここでも、どうも私は「女性らしい」のが苦手らしい。
先般の記事にも登場した脳科学者の中野信子さんも、似たようなことをおっしゃっていた。
「女性だから●●」(例:女の子は赤い服、とかね)ってのが、子どものころから苦手だった、と。
私も彼女同様、「女の子だから女らしくしなさい」と言われるのが大嫌いだった。
それは私の気性だから仕方ないのだが、今この俳句教室で顔を出さなくてもねえ。
「春はいちご」みたいな可愛らしい俳句を、「ふーん」と思ってしまう自分がいた。(面倒くせえ自分)
いや、いかん。
これは単なる「文学」である。
女性らしいも何もないのだ(と思う)。
私は頭を振って目を見開き、「女性らしさ」に目が曇らされないよう、書かれた俳句を何度も読み返した。
公平な目で選ぶのだ、公平にね。
選句が終わり、各自が選んだ句を発表。
なんと、私の句を選んでくれた方が何名かいらっしゃった!!(うれしい!)
かなり恥ずかしいが、「いいですね」と人から言われるとまんざらでもない(えへへ)。
そして私の選んだ句。
「俳句としてまとまっている」とか、
「意味が想像しやすい」とか、
そういうのを選んだつもりだった。
しかし、私の選んだ句のうち、半分くらいが講師の先生の句だった…。
後で種明かしされて先生の句だと分かった。
「先生の句だ」と言われれば納得。
だって、分かりやすいもん。
意味が通じるように作るって、案外難しいんですね。
「季重なり」の句もありましたよ。
1句に2つの季語が入っている場合、それが別々の違う季節の季語だったら?
その場合は、「…や」(切れ字)などで詠嘆されている季語の方が強い意味になる、つまり優先されるようです。
なるほど。
独学で本を読んでいるだけだと、細かいところは分からない。
「力士」とか「相撲」が季語だというのも初めて知りました。
そんな感じで2時間(1時間半だと勝手に思い込んでいた)、あっという間に過ぎた。
楽しいのが一番ですよね、趣味なんだし。
そして次回のお題をもらい、締め切り(2週間後だ)までに先生宅へ自分の句を郵送することに。
授業が終わって。
「どうですか、俳句?」
先生に聞かれたが、締め切りが近すぎる。
「締め切りまで2週間しかないので、頑張らなくてはという感じです」
そう答えると、H先生は笑った。
「締め切りが無いとやりませんよね!僕もそうです」
そうですか。
やはり作家だろうが俳人だろうがアーティストだろうが、作品を作る人は締め切りが無ければ自分を追い込めないですよね。
締め切りがあれば何とかしてひねり出す、ってことだな。
個人で書いているブログは締め切りが無いので、怠けたらきりがない。
克己心が必要になってくるのだ(残念ながら私には欠落しているので、この体たらくだ)。
H先生はこんな風に続けた。
「句会がいくつも立て込んでくると、新しい俳句を作る時間がないんですよ。
仕方なく、以前作った俳句をいくつか混ぜて持っていく。
すると、句会によってはこの俳句が受けたり受けなかったり。
句会のカラーによっても違いますよ、ウケるポイントが」
やはりそうだろうなあ。
結局、絵でも音楽でも文学でも好みがありますもんね。
万人に受ける作品を生み出すのは大変だ。
というわけで。
授業が終わってH先生は、「じゃまたね!」と風のように去っていった。
受付にいたT橋さん。
笑顔で私を待ち構えていた。
次の展開は予想できた。
「どうでしたか?良かったでしょ?初心者クラス、とってもわかりやすいって評判なんですよ!先生も丁寧に教えてくださいますしね。次回、どうしますか?え?だって面白いでしょ?俳句、とっつきやすくなったんじゃないですか?はい?入会しますか?は?私としてはおススメですよ!」
…T橋さん、いつもながらどこで息継ぎしてるのか分からない。
立て板に水、矢継ぎ早のセリフはさらに破壊力を増したようだ。
が、今日はT橋さんは忙しいらしく、他の人に呼ばれてすぐ姿を消した。
あれ?いいのか私…(ぽつんとおきざり)
すると、別の担当者が来た。
私は、「俳句を続けたいが、今日まったくお金を持っていない」と伝えた。
「支払いは次回でいいですよ」と言い残し、彼女も消えた。
月謝を払っていないのに作品は提出しなければならぬ…。
なんか変な感じ。
こんな感じで、俳句教室の第1回目は終わった。
生徒さんたちもあっさりしたもので、授業が終わるとさっさと帰る。
まあ、これくらいがいいんだろうな。
当面の目標(というか月末までの目標は)次回のお題で4句詠むこと。
そして、中期的目標は(上手になって)句会に出ること、にしておこう。
少しは自分を追い込まないとね。
怠け者(自分だ)に作品を作らせるには、「教室に参加する」「月謝を払う」「締め切りをもうける」だな。
と改めて分かった。
冬の間は活動的じゃなかったが、春になったんだもの。
ちょっと外に出て何か違うことをやってみよう!と思ったのでした。